予章王蕭綜の生涯

Posted by admin - 10月 13th, 2011

予章王蕭綜の生涯4
蕭綜は504年7月(3歳)に父皇帝から予章郡王に封ぜられ、その後も皇族として順調にキャリアを重ねていきました。しかしその後武帝の寵愛を失った呉淑媛は、悲嘆と屈辱のあまり我が子蕭綜に「実の父は蕭宝巻」と言ってしまいました。意外な事実を知らされて衝撃を受けた蕭綜は密かに斉朝の諸皇帝を祭る廟を造り、あるとき密かに斉の明帝(蕭宝巻の父)の陵墓を拝みに行きました。しかしこれでも蕭綜は自分が蕭宝巻の子であるという確証を得ることはできませんでした。
当時の迷信では、ある人の遺骨に肉親の血を垂らすと血は骨に浸みこむというものがあったようです。蕭綜は蕭宝巻の墓を見つけて遺骨を取り出し、自分の腕を傷つけてその血を遺骨に垂らしたところ、血は遺骨に浸みこみました。このときから蕭綜は、自分は斉の廃帝蕭宝巻の遺児と固く信じるようになったのです。
そのためか、蕭綜と父武帝との関係は徐々に険悪化していきました。武帝は蕭綜を自分の子と思っていたので、蕭綜の態度の変化を理解できなかったでしょう。あるいは失寵した呉氏からいろいろ愚痴を吹き込まれただけとでも思っていたのでしょう。
ちなみに、蕭綜の父武帝も遠縁ながら斉の皇帝一族とは血のつながりがありました(だからこそ、若い頃の武帝は斉の皇族として扱われたのです)。蕭綜と蕭宝巻とは、全くの赤の他人でもないはずなのです。
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